以前紹介した和歌のように、越前和紙を題材にした文芸はいくつかありますが、おそらく代表的な小説がこれではないでしょうか。
「弥陀の舞」 水上勉
読んだことがないまま地元を離れ、数年前にふとしたきっかけで手に取ることになったこの本、ご当地ものどころかまさに生まれ育った場所そのものが舞台。完全なるフィクションであり、時代も離れてはいるのに、山や川や小道、風景の色や匂いさえあまりに身近に感じられ、ドキドキしながら読んだことを覚えています。取材のため長く現地に滞在したという水上氏、紙漉きの描写の緻密さには驚くばかり、おそらくもう二度とこういう話をライブで聞くことはできないでしょう。もはや和紙の里の歴史の語り部、一種の文化遺産といってもいい作品だと思います。
大雑把なストーリーとしては
「明治の福井・越前和紙の里で、身寄りのない漉き女が腕のいい和紙職人にその才を見出され、時代と周囲に翻弄されながらも腕を磨き、共に大仕事を達成する」
という、けっこう壮大なお話。舞台化もされました。
<時代設定・背景>
明治時代(維新直後から日露戦争のあたりまで)。
1.維新後に出た廃仏棄釈のお触れを巡り各地方は混乱。五箇でも「ぼろんか(暴論家)騒動」という暴動が起こる。寺社統一を性急に推し進めようとした僧侶に対する反抗勢力が立ち上がり、寺や戸長(今でいう区長)の建屋などを焼き討ち。すぐに鎮圧され、首謀者及び追随者は敦賀などに送られ投獄または処刑された。
2.これまでの手間のかかる和紙作りが見直され、機械化が急速に進む。五箇の中でも、伝統製法を捨て大量生産できる洋紙に走る一派も多く現れ、「漉き家」から「工場(会社)」への転換期であった。
3.維新後の混乱がおさまると、日本全体が昇り調子の景気に湧いた。特に躍進がめざましかった製糸業へ、多くの漉き女たちがこぞって流れていった。
4.当時、漉き家の規律は厳しく、男女の交際は固く禁じられていた。たとえ正式に結婚することになってもごく内輪に、その漉き家の中でひっそりと行うほどだった。
5.当時は徴兵制があり、20歳を越えた成人男性は全員検査を受ける義務があった。ただし職業軍人も多くいたので、検査結果が好成績だったとしてもただちに兵隊になるというわけではない。日清戦争前では、一定期間の訓練で除隊となるのがほとんどだった。
<主要な登場人物>
1.くみ
ぼろんか騒動の首謀者とされる父と、尼の母から生まれる。父は騒動後に捕まり敦賀に送られて処刑され死亡、母は京都に出奔。残されたくみは事情をまったく知らされないまま、母のいた寺の庵主の庇護により育つ。まもなく文室(ふむろ)の農家にもらわれていくが、養母に実子が生まれたことで邪険にされるようになり、大滝の漉き家に奉公に出される。その後紙漉き職人の上林弥平のもとで働くことに。
美しく聡明で働き者、忍耐強く、冷静で腕もいいが、薄倖な生い立ちにより内面に欠落を抱え、男女の愛情面ではバランスを欠く。紙漉きが彼女のよりどころであり、誇りであり、生きがい。
2.上林弥平
時流に流されず、頑固に古来製法を守る筋金入りの職人。妻もめとることなく長年独りで紙を漉いてきた。何でも西洋風に傾きつつある日本を嘆き、昔ながらの技を研究し継承していくことに使命感を持っている。
と、ここまで書くとかなりストイックな大河ドラマといった趣ですが、なかなかどうして人間臭く、ドロドロした側面もあるお話です。
腕の良い漉き女は非常に男性にモテたようで、
「紙いじる女(こ)は、みな男を好く」
なんて言葉も出てきます。ドラマにしても時間早めの枠は無理かも(^_^;)。
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