紙漉のうた
2013-04-08


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流れくる 岩間の水に 浸しおきて
    打敲く草の 紙になるとぞ
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作者は越前国石場町(福井県福井市つくも町)出身の歌人、橘 曙覧(たちばな しょらん)。
※私の見た本だと「しょらん」とあったのですが、wikipediaでは「あけみ」になっていました。どちらが正しいのかもしくは両方正しいのか、確認中。ご存知の方いらしたらご教示ください。
本人は江戸終焉の年(1868)に亡くなったが、その長男が父の残した歌をあつめ、
1878年に『橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎歌集』(しのぶのやかしゅう)として編纂。

あの正岡子規が「源実朝以来、歌人の名に値する者は橘曙覧ただ一人」と絶賛。
時代下って1994年、天皇皇后両陛下の訪米の際、当時のアメリカ大統領ビル・クリントンがスピーチの中で
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時
という曙覧の歌を引用し、再度脚光を浴びることになった。

まさに正真正銘の天才歌人。恥ずかしながら、こんな福井県人がいたことを、今のいままでよく知らないでいた。

さらに。

この「紙漉」の七首、昔紙漉きの村だった福井県坂井郡大安寺付近にて詠まれたという。

大安寺といえば・・・

(大安禅寺HPより)長田製紙所の記事
[URL]

ちなみにこの大安禅寺、かつて織田信長の攻略により焼きつくされその後再建されたという、大滝神社と似た歴史を持つ。あの時代の越前はどこもかしこもそういう状態だったのかもしれないが、それにしてもちょっと出来過ぎな話。

元々すべてが繋がっているのに、気づかないだけなのかもしれない。降って湧いた御縁のようにみえても、実はいつか何処かで、時空を縫うように明らかな糸が引かれているのかも。

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