副読本「越前和紙の里」紹介(1)
2013-01-17


     正しき道を 一条(ひとすじ)に
      親しみ睦み いざやいざ

・・・なにこれカッコイイ

小学生の頃は単に古めかしいとしか思っていなくて、
「湧きてやまざる」を「山猿」とか
「明らけき」を「あきら〜笑(という子がいた)」とか
皆でおちょくっていました…すみませんすみません。
務を負える、も最初「終える」かと勘違いしていて、長いこと意味がワカラン???と思っていたりとかもう、当時のアンタの方が意味わからへんわ!てな始末。だからといって大人になった今、この高尚な校歌に顔向けできるほどの人生を私は歩んでいるのか?!ああああ穴があったら入りたい。

今はこういう感じの校歌は少ないのかもしれないが、古臭いとか現代に合わないとか浅薄な理由でうかうかリニューアルなんかしないほうがいい!とあらためて強く思う。子供のうちはよくわからなくても、卒業してからの長い人生いつどこで、六年間歌い続けた言葉の一つ一つが目を覚まして叱咤激励してくれるか知れない。むしろ子供に理解しにくい言葉のほうが、後で効いてくるんじゃないかな。言霊は短く簡潔なほうがいいもの。

と、いつ中身に入るんだかよくわからないままに、とりとめもなく続く。
(まあ、そのほうが連続更新できていいかも←オイオイ)

戻る
[和紙の歴史]

コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット